流刑と強制労働による植民地拡大を刻む11施設

オーストラリアの囚人収容所遺跡群

Australian Convict Sites

海辺の石造監獄と整然とした収容棟が、帝国の拡大を支えた人々の重い時間を残す。

オーストラリアの囚人収容所遺跡群のミニチュア

概要

大英帝国が18〜19世紀にオーストラリアへ築いた1,000以上の囚人施設から、11施設を登録した連続遺産。1787〜1868年に女性や子どもを含む約16万6,000人が流刑となり、懲罰、労働による更生、植民地開拓に組み込まれた歴史を伝える。

  • オーストラリア
  • 文化遺産
  • 2010年登録
  • 検定2級

見どころ

タスマニアの入り江に石造監獄や教会跡が広がるポート・アーサー歴史地区

ポート・アーサーに残る懲罰の都市

タスマニアの海辺に、監獄、作業場、教会、病院などが一体となって残る。景勝地の静けさと、隔離・監視・労働を組み込んだ巨大な懲罰施設の構造との対比が強い印象を残す。

19世紀オーストラリアで監督下の囚人たちが石を切り植民地道路を建設する歴史的景観

強制労働が築いた植民地基盤

囚人は収監されるだけでなく、道路、農場、港湾、公共施設を建設する労働力とされた。施設ごとの異なる役割をたどると、流刑制度が植民地拡大の仕組みそのものだったことが見えてくる。

地理

11の構成資産は、ニュー・サウス・ウェールズ州のシドニー周辺、タスマニア、ノーフォーク島、西オーストラリア州フリーマントルまで大陸と島々に広く点在する。東のキングストンとアーサーズ・ヴェイルから西のフリーマントル、北のシドニー周辺から南のタスマニアへ及ぶ分布そのものが、流刑制度を使った植民地拡大の規模を示す。

ニュー・サウス・ウェールズ初代総督公邸、ハイド・パーク・バラックス、ダーリントン保護観察所、フリーマントル刑務所、ポート・アーサー刑務所など、総督の統治拠点、収容棟、道路、農場、炭鉱、女性工場、刑務所という異なる機能の施設が組み合わされている。

オーストラリアの囚人収容所遺跡群の風景

歴史

1787年から1868年までの約80年間、大英帝国は犯罪者や政治犯など約16万6,000人をオーストラリアの囚人植民地へ移送した。そこには女性や子どもも含まれ、施設ごとに懲罰としての収監と、強制労働を通じた更生・植民地建設という役割が与えられた。道路、農場、港湾、公共施設の建設を担わせる一方、植民地の拡大は先住民アボリジニを居住地から追い出した。

この遺跡群は、西欧諸国による大規模な囚人流刑と、囚人の労働力を利用した植民地拡大政策を伝える代表的証拠であり、負の側面をもつ遺産と考えられる。負の遺産とは戦争・紛争・人種差別・奴隷貿易など人類の過ちを記憶し、繰り返さない教訓とする遺産の通称で、世界遺産条約上の正式な分類ではない。原爆ドームやゴレ島などもそう呼ばれるが、文化遺産は光と影の両面をもち、特定資産だけを区分する確立した基準や対象年代はない。負の側面をもつ遺産には基準(vi)のみで登録される例もある。

2010年、登録基準(iv)(vi)で世界遺産となった。(iv)は人類史の代表的段階を示す建築・技術・景観の顕著な見本、(vi)は顕著な普遍的価値をもつ出来事・生きた伝統・思想などとの直接的関連を評価し、(vi)は他基準との併用が望ましい。11施設は流刑制度の物的な仕組みと、その制度がもたらした植民地化の記憶を併せて伝えている。

参考

  • UNESCOAustralian Convict Sites
  • 書籍『くわしく学ぶ世界遺産300〈第5版〉』(発行:世界遺産アカデミー/世界遺産検定事務局、発売:マイナビ出版)

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