概要
スペインのコルドバ近郊にある、10世紀半ばに後ウマイヤ朝が築いたカリフ都市の遺跡です。短い繁栄の後、1009〜1010年の内戦で放棄・衰退し、20世紀初頭の再発見まで千年近く忘れられました。そのため道路、橋、水利システム、建物、装飾、日常品が良好に残り、失われたイベリア半島のイスラム文明を総合的に伝えます。
見どころ
赤白の馬蹄形アーチと精緻な装飾
謁見空間では、赤と淡色を交互に配した馬蹄形アーチと、植物文様を刻んだ石材が権威ある空間をつくります。後ウマイヤ朝の美術と建築技術を間近に読める中心的な見どころです。
都市を動かした道・橋・水路
石舗装の道に沿って橋や水路、建物の基礎を追うと、宮殿だけでなく行政と生活を支えた都市システムが見えてきます。陶器などの日常品も、短命だった都の実像を補います。
地理
イベリア半島南部、スペインのコルドバ近郊の丘陵斜面に、城壁で囲まれた都市遺構が段状に広がります。宮殿・行政・居住の区域を道路や橋がつなぎ、水路や貯水施設が高低差を利用して各区域へ水を届けました。建物単体だけでなく、権力、生活、移動、水利用を組み立てた都市全体を考古学的に読める点が特徴です。
登録基準(iii)は現存または消滅した文化的伝統・文明の独特な証拠を、基準(iv)は人類史の代表的段階を示す建築・技術・景観の顕著な見本を対象とします。メディナ・アサーラは、失われたイベリア半島のイスラム文明を示す証拠であると同時に、10世紀カリフ都市の計画、建築、水利技術をまとまって伝える見本です。
歴史
後ウマイヤ朝は、アッバース朝に滅ぼされたウマイヤ朝の生き残りがイベリア半島で再興した王朝で、コルドバのウマイヤ朝とも呼ばれます。イスラム国家の最高権威者の称号であるカリフのもと、10世紀半ばにメディナ・アサーラが築かれました。美しいイスラム装飾を備えた宮殿・行政施設と、道路、橋、水利システム、住宅が一体となった新都市でした。
しかし繁栄は数年ほどと短く、カリフの時代に終わりを告げる1009〜1010年の激しい内戦で都市は放置され、衰退しました。その後、20世紀初頭に遺構が発見されるまで千年近く忘れ去られます。長い埋没によって、道路や橋、水路、建物、装飾だけでなく日常品も良好に残り、失われた文明の都市生活を深く知る手掛かりとなりました。
2018年、後ウマイヤ朝文明の独特な証拠として基準(iii)、カリフ都市の計画と建築・水利技術の顕著な見本として基準(iv)が認められ、文化遺産に登録されました。
