壁・堀・砦・集落が示すローマ帝国北西辺境の統治システム

ローマ帝国の境界線

Frontiers of the Roman Empire

丘陵を横切る壁と望楼の列が、帝国の果てで人と物を管理した巨大な仕組みを浮かび上がらせる。

ローマ帝国の境界線のミニチュア

概要

ローマ帝国が最盛期の北西辺境に築いた防衛・交通・統治網です。現行の登録物件(No.430)は英国のハドリアヌスの長城アントニヌスの長城、ドイツの上部ゲルマニア・ラエティア・リーメスの3区間からなり、壁、堀、砦、望楼、道路、民間集落を通じて帝国の軍事技術と文化交流を伝えます。

  • ドイツ・イギリス
  • 文化遺産
  • 1987年登録
  • 検定2級

見どころ

イングランド北部の丘陵を横切るハドリアヌスの長城とローマ砦

ブリタニアを横断するハドリアヌスの長城

122年ごろに築かれた石造壁が、砦やマイルキャッスル、堀とともにイングランド北部を横切ります。丘陵の地形に沿う連続線から、ローマ軍が広い軍事地帯を組織し、人の往来を管理した仕組みが見えます。

木柵と望楼、砦が連なる上部ゲルマニア・ラエティア・リーメス

約550kmの上部ゲルマニア・ラエティア・リーメス

木柵、土塁、堀、石造の望楼や砦が組み合わさり、ドイツの森林や農地を縦断します。地形に応じて構造を変えながら、軍事技術と周辺集落を一体化したローマ帝国の辺境統治を伝えます。

地理

ローマ帝国の境界網全体は、最盛期の2世紀に大西洋岸から黒海・紅海、北アフリカを経て再び大西洋岸まで広がる長大なシステムでした。ただし、現在の世界遺産No.430の登録範囲は、その北西部を代表する三つの人工的境界、すなわち英国のハドリアヌスの長城とアントニヌスの長城、ドイツの上部ゲルマニア・ラエティア・リーメスです。下部ゲルマニア・リーメス、ドナウ・リーメス西部、ダキアの境界線は、同じ「ローマ帝国の境界線」構想に属しますが別の世界遺産物件です。

上部ゲルマニア・ラエティア・リーメスはドイツ北西部から南東部のドナウ川まで約550km続きます。ハドリアヌスの長城はイングランド北部を横断し、教材では約120km、資料の測定範囲によって118~130kmと表されます。アントニヌスの長城はスコットランドを約60km横切ります。各線は壁だけでなく、堀、土塁、砦、要塞、望楼、道路、付随する民間集落を含む軍事地帯でした。

ローマ帝国の境界線の風景

歴史

上部ゲルマニア・ラエティア・リーメスは、ゲルマン民族の襲撃に備え、1世紀末にドミティアヌス帝のもとで整備が始まりました。122年ごろ、ハドリアヌス帝はローマ属州ブリタニア北辺に連続する長城の建設を命じました。さらに142年ごろ、アントニヌス・ピウス帝はその北方に土塁を主体とする長城を築き、帝国の北西端を一時的に押し広げました。

これらの境界線は異民族の侵入に備える防壁でしたが、人を完全に遮断する壁ではありません。軍と民間人、商人の移動を管理し、帝国の軍事・土木技術、建築、宗教、行政を辺境へ伝える一方、各地の地形・気候・社会に応じて異なる構造を発達させました。1987年にハドリアヌスの長城が登録され、2005年にドイツのリーメス、2008年にアントニヌスの長城が加わり、現在の3区間からなる国境横断のシリアル遺産になりました。

参考

  • UNESCOFrontiers of the Roman Empire
  • 書籍『くわしく学ぶ世界遺産300〈第5版〉』(発行:世界遺産アカデミー/世界遺産検定事務局、発売:マイナビ出版)

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