概要
兵庫県姫路市に残る、17世紀初頭の日本城郭建築を代表する文化遺産。白漆喰の総塗籠外壁から「白鷺城」と呼ばれ、優美な天守群と、曲輪・濠・門路・狭間を組み合わせた高度な防御体系が、木造建築の機能美を比類ない姿で伝えている。
見どころ
四つの天守を結ぶ連立天守
外観5層・内部7階の大天守を、東・西・乾の3小天守と渡櫓で結ぶ姫路城の核心。白漆喰と重層する破風が、防御機能と優美さを両立させる。
敵を迷わせる螺旋状の縄張り
曲輪、濠、門を折れ曲がるように配し、天守へ容易に近づけない防御計画。「にの門」の低く屈曲した通路や、多様な狭間に工夫が凝縮する。
地理
姫山の地形を生かした城域には83棟の建造物が残る。大天守は外観5層、内部6階・地下1階の7階建てで、東・西・乾の3小天守を渡櫓で結ぶ連立天守を構成する。白漆喰で塗り込めた壁と、唐破風・千鳥破風が重なる屋根は、建物の大小を緻密に組み合わせた白亜の景観を生み出している。
城内は曲輪が螺旋状に連なり、三重の濠、見通しを妨げる屈曲した門路、低い天井の通路、武器に合わせて三角・四角などに造られた狭間、石や熱湯を落とす石落としなどを備える。大天守1・2階の開閉式特殊窓、3階の武者隠し、4階の石打棚も、階ごとに工夫された防御装置である。「にの門」は櫓下で通路を直角に折り、備前丸西側の石垣には上ほど反り返る扇の勾配と、墓石などを再利用した転用石が見られる。
大天守・3小天守・4棟の渡櫓の計8棟は国宝、櫓や塀など74棟は重要文化財で、石垣を含む城域全体は特別史跡である。西の丸御殿は失われたが、化粧櫓と長局(百間廊下)が残る。化粧櫓は本多忠政が忠刻・千姫夫妻のために築いた居住空間で、千姫が男山天満宮を遥拝する際に化粧を直した場所とも伝わる。
歴史
城の起源は1333年に赤松則村が姫山へ築いた砦と伝わる。1581年には羽柴秀吉が西国で最初とされる3層の望楼型天守を築き、野面積みの石垣の一部が今も残る。関ヶ原の戦い後に城主となった池田輝政は1601年から1609年に大改修を行い、現在の大天守を中心とする天守群と防御体系を完成させた。その後、本多忠政が西の丸を整備し、長男忠刻と千姫のための居住空間を設けた。
一国一城令、明治の廃城令、第二次世界大戦の戦火をくぐり抜け、江戸初期の姿をほぼ保った。明治期には軍人・中村重遠らの保存運動が解体を防ぎ、1956年から8年に及ぶ昭和の大修理では天守群を解体し、大天守の西大柱を交換して構造を修復した。2009~2015年の保存修理では屋根瓦と漆喰壁を直しながら真正性を守る手法が実践され、作業の一部も公開された。1993年、日本最初の世界遺産の一つとして登録された。
