古代帝国からキリスト教・ルネサンス・バロックへ連なる永遠の都

ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂

Historic Centre of Rome, the Properties of the Holy See in that City Enjoying Extraterritorial Rights and San Paolo Fuori le Mura

古代の円柱と聖堂の鐘、バロックの広場が、同じ街路で三千年を語り合う。

ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂のミニチュア

概要

ローマの17世紀の城壁内と、城壁外のサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂などを含むイタリア・バチカン市国の共同遺産。コロッセウム、パンテオン、フォロ・ロマーノ、教皇直轄聖堂、ルネサンス・バロックの都市空間が、古代帝国の首都からキリスト教世界の中心への連続した歴史を示す。

  • バチカン市国・イタリア
  • 文化遺産
  • 1980年登録
  • 検定3級
  • 検定2級

見どころ

多層アーチが残るローマのコロッセウム

ローマ最大の円形闘技場コロッセウム

後80年、ティトゥス帝の時代に完成した巨大闘技場。多層アーチの外壁と観客席は、帝国の建築技術と、市民娯楽を政治に用いた都市文化を象徴する。

パンテオン内部の格間天井と中央の天窓

万神殿パンテオンの巨大ドーム

アグリッパの神殿をハドリアヌス帝が改築したローマ建築の傑作。正面の古典列柱と、中央の天窓から光が差す巨大ドームが完全性高く残る。

地理

テヴェレ川沿いの七つの丘を核とするローマ歴史地区に広がる。1980年の登録時は3世紀に築かれたアウレリアヌスの城壁内が中心だったが、1990年に教皇ウルバヌス8世が17世紀に築いた城壁内まで拡大された。さらに城壁外のサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ聖堂など、ローマ市内でヴァティカン市国が域外権をもつ資産を含む。

古代のフォルム、神殿、闘技場、浴場、霊廟の上に、初期キリスト教聖堂、教皇宮殿、ルネサンスとバロックの広場・街路が重なり、約三千年の都市層を形成する。キリスト教聖堂には、列柱で高い身廊側廊を分けるバシリカ式など、313年のキリスト教公認後に発達した形式が受け継がれている。

ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂の風景

歴史

伝説では、オオカミに育てられた双子ロムルスとレムスのうちロムルスが紀元前754年頃にローマを築き、都市名も彼に由来する。紀元前10世紀頃から集住が始まり、都市国家、共和政へ発展した。紀元前270年頃にイタリア半島を掌握し、カルタゴとの3度のポエニ戦争に勝利して地中海覇権を確立した。紀元前1世紀にはカエサルが独裁体制を築き、紀元前27年、後継のアウグストゥスが初代皇帝となった。

帝政期には凱旋門、劇場、浴場、神殿、円形闘技場が建設された。後80年にティトゥス帝の時代に完成したコロッセウムはローマ世界最大の円形闘技場で、市民の娯楽の場だった。パンテオンはアグリッパが紀元前27年に建て、ハドリアヌス帝が改築した万神殿で、ミケランジェロが「天使の設計」と称賛したと伝わる。カラカラ浴場は大規模な市民用公衆浴場、サンタンジェロ城はハドリアヌス帝の霊廟を起源とする。

313年のミラノ勅令でキリスト教が公認され、4世紀のコンスタンティヌス帝の時代にローマはキリスト教世界の中心となった。5世紀後半の西ローマ帝国滅亡後、8世紀以降は教皇領の首都となり、ルネサンス期からミケランジェロ、ラファエロ、ベルニーニらの活躍で芸術の都として再生した。1980年に世界遺産登録、1990年にウルバヌス8世の城壁まで拡大され、2015年と2023年にも境界の小変更が行われた。

参考

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