概要
14世紀半ばから約400年栄えたアユタヤ朝の首都。水上交易の要衝として国際交流を広げ、日本とは朱印船貿易で結ばれた。プラ・プラーン様式の寺院群、日本人町跡、ワット・マハータートの仏頭が独自の王都文化を伝える。
見どころ
樹根に包まれた仏頭
ワット・マハータートで、長い年月のうちに木の根へ包み込まれた石造の仏頭。王都の破壊と自然の時間が一つの像に重なる、アユタヤを代表する景観である。
プラ・プラーン様式の塔堂
ワット・ラーチャブーラナの高い中央プラーンは、クメールの影響を受けながらアユタヤ朝独自に発達した塔堂形式を明瞭に示す。赤褐色の煉瓦装飾と垂直性が王都の威容を物語る。
地理
タイ中部、チャオプラヤ川水系の複数の川に囲まれた低地に位置する。アユタヤは古くから水上交易の要衝で、水路を交通・防御・生活に組み込んだ国際都市として発展した。「アユタヤ」は「平和な都」を意味する。
旧都には、クメール建築の影響を受けた砲弾状の高い塔堂を特徴とするプラ・プラーン様式の寺院群が残る。巨大な僧院や仏塔の遺構は、約400年に及んだアユタヤ朝独自の都市文化を伝える独特な証拠として登録基準(iii)で評価された。
歴史
14世紀半ば、スコータイに続くシャムの首都としてアユタヤ朝の都が置かれた。王朝は14世紀にクメール人のアンコールを滅ぼし、15世紀にはスコータイ朝を併合して勢力を広げ、アユタヤは以後約400年にわたり繁栄した。
17世紀にはヨーロッパとアジア各国を結ぶ交易が活発になり、日本とは朱印船貿易で交流した。日本人町が形成され、山田長政が傭兵隊長として活躍したと伝えられる。1767年にビルマ軍によって都が破壊され、王都としての歴史を終えたが、寺院のプラーンや巨大な僧院群は往時の繁栄を今に伝える。1991年に世界遺産へ登録された。
