概要
京都市14、宇治市2、大津市1の寺社と城、計17資産からなる文化遺産。794年の平安京遷都から約千年にわたり日本の首都・文化中心地だった京都で、各時代の木造建築と日本庭園の発展、全国・海外への影響を伝える。
見どころ
平等院鳳凰堂
阿字池の水面に翼を広げるように建つ、平安貴族の浄土信仰を象徴する仏堂。1053年の建築が宇治の景観に息づく。
鹿苑寺の金閣
三つの異なる建築文化を重ねた金色の舎利殿。鏡湖池と北山の緑が、建築と庭園の一体美を際立たせる。
地理
構成資産は京都府京都市・宇治市と滋賀県大津市に点在し、東山・西山・北山の自然と調和する。17資産の登録面積は合計1,056ha、緩衝地帯は3,579ha。寺社16件と二条城からなり、198棟の建造物と12の庭園を含む。建造物のうち38棟が国宝、160棟が重要文化財である。
賀茂別雷神社(上賀茂神社)は7世紀末創建で賀茂別雷命を祀り、背後の神山も資産に含む。賀茂御祖神社(下鴨神社)は11世紀初頭に現在の姿となり、国宝の東本殿と糺の森を含む。両社は平安京以前の賀茂信仰を伝え、本殿は三間社流造である。教王護国寺(東寺)は平安京の官寺として建てられ、空海に与えられて真言密教の中心となった。清水寺本堂は坂上田村麻呂の建立とされ、音羽山の斜面へ張り出す懸造の「清水の舞台」で知られる。延暦寺は788年に最澄が比叡山へ建てた草庵を起源とする天台宗総本山で、後世の宗派の開祖を輩出した。
醍醐寺は山上の上醍醐と山麓の下醍醐からなり、五重塔は京都府内最古の木造建築。豊臣秀吉が自ら設計した庭園も残る。仁和寺は宇多天皇が完成させ、皇族が門跡を務めた御室御所として知られる。平等院は藤原頼通が1052年に別荘を寺へ改め、1053年に鳳凰堂を建立した。鎮守社の宇治上神社は1060年頃の創建とされ、本殿は現存最古の神社建築で、3棟の一間社流造を覆屋がまとめる。高山寺の石水院は鎌倉時代の住宅風仏堂で、鳥獣人物戯画などを伝える。
西芳寺庭園は夢窓疎石が再興し、上段の枯山水と下段の池泉庭園を組み合わせる。天龍寺は嵐山を背景とする1255年造営の離宮を前身とし、1339年に禅寺へ改められた。山門・仏殿・法堂を一直線に置き、方丈裏に夢窓疎石が携わった庭園を配する。鹿苑寺の舎利殿(金閣)は、第1層の寝殿造風、第2層の書院造を思わせる住宅風、第3層の禅宗仏堂風を重ね、公家・武家・仏教文化の調和を示す。慈照寺は足利義政の東山殿を起源とし、観音殿(銀閣)と東求堂が後世の茶の湯文化へ影響した。龍安寺は1450年創建で、方丈庭園は白砂に15石を配して室内から鑑賞する枯山水の代表作。本願寺は阿弥陀堂と御影堂を並べる浄土真宗の伽藍と、書院・能舞台など華麗な桃山文化を伝える。二条城は徳川家康が1603年に造営し、小堀遠州作とされる庭園をもつ。
歴史
794年、桓武天皇が長岡京から遷都し、古代中国の都を手本とする平安京が生まれた。京都は19世紀半ばまで約1,000年にわたり日本の首都・文化中心地として栄え、平安から江戸までの各時代を代表する建築と庭園を育てた。平等院などは平安期の公家社会、高山寺は鎌倉期の武家社会の文化を示す。
14世紀末には足利義満と鹿苑寺に象徴される北山文化、15世紀中頃には公家文化と武家文化が融合した、より洗練された東山文化が栄えた。天龍寺や慈照寺にはわび・さびの美意識が表れ、応仁の乱を避けて地方へ移った貴族が京都文化の地方伝播を促した。本願寺は華麗な桃山文化を代表する。
東寺や延暦寺などは災害・戦災で焼失したが、権力者や町衆による再建と修復で創建時に近い姿が守られた。京都で発達した建築様式は全国へ広まり、日本建築の発展に大きな影響を与えた。西芳寺などの池泉回遊式庭園や枯山水は、自然との調和を追求する日本独自の庭園様式として海外の庭園設計にも影響した。
平安遷都1,200年にあたる1994年、17資産が登録基準(ii)(iv)で世界遺産に登録された。
