概要
アドリア海沿岸の港町スプリトに、3世紀末のディオクレティアヌス帝の宮殿を核として発展した歴史都市。古代の皇帝廟を転用した大聖堂、ロマネスク教会、ゴシック・ルネサンス・バロックの宮殿が宮殿遺構へ重なり、ローマ建築が生活の場として再利用されてきた過程を示す。
見どころ
宮殿から都市へつながるペリスティル
宮殿中央の列柱中庭は、皇帝の儀礼空間から市民の広場へ役割を変えながら残った。古代ローマの柱廊と後世の建物が密接に組み合うスプリトの核心である。
皇帝廟から生まれた聖ドムニウス大聖堂
ディオクレティアヌス帝の霊廟をキリスト教の大聖堂へ転用した建物。古代の八角形建築に中世の鐘楼が重なり、宗教と都市の変化を一つの姿で示す。
地理
クロアチアのダルマチア地方、アドリア海沿岸の港町スプリト中心部にある20.8haの文化遺産である。古代ローマの巨大な宮殿を核に、その城壁、城門、中庭、地下構造が街路や住宅と一体化し、現在も人々が暮らす歴史都市を形づくる。
宮殿の列柱中庭ペリスティルは都市の中心広場として受け継がれ、皇帝廟は中世に聖ドムニウス大聖堂へ転用された。古代の石材と構造の上に、12~13世紀のロマネスク教会、中世の要塞、15世紀のゴシック宮殿、ルネサンスやバロックの宮殿が重なり、約1700年に及ぶ建築の層を一続きの街並みとして見ることができる。
歴史
3世紀末、ローマ皇帝ディオクレティアヌスは四分統治をはじめとする帝政改革を進め、退位後の余生を送るためアドリア海岸に宮殿を築いた。宮殿は軍営のような強固な城壁と皇帝の居住・儀礼空間を兼ね、3世紀末から4世紀初頭にかけて完成した。
ローマ帝国後の長い時代、スプリトはさまざまな勢力の支配を受けたが、住民は宮殿を放棄せず、古代建築を住宅、教会、広場へ転用した。中世には皇帝廟が聖ドムニウス大聖堂となり、その後もゴシック、ルネサンス、バロックの建築が加わった。古代遺構を保存しながら都市として使い続けた歴史が評価され、1979年に世界遺産へ登録された。
