概要
セネガルの首都ダカール沖にある小島。15~19世紀、黒人奴隷を主要商品の一つとした三角貿易の拠点となり、欧州諸国の支配下で多くのアフリカ人がアメリカ大陸へ送られた。奴隷収容所と商人の邸宅が残り、人類の過ちを記憶する負の遺産とされる。
見どころ
二重階段と収容室が残る奴隷の家
2階の奴隷商人の住居と、1階の狭い収容室が一つの中庭を囲む。左右の湾曲階段と海へ向かう扉が、交易を支えた支配と強制移送の記憶を伝える。
島の北端に立つエストレ要塞
フランスによって完成された低く堅牢な要塞で、現在はゴレ島の歴史を伝える博物館となっている。奴隷の家とともに、島をめぐる欧州諸国の支配を物語る。
地理
ゴレ島はセネガル沖、首都ダカールの対岸に位置する。島内には、狭く暗い奴隷収容施設と、奴隷商人が暮らした比較的優雅な植民地建築が近接して残り、同じ交易から生まれた二つの対照的な空間が奴隷貿易の仕組みを可視化している。
東岸には交易の象徴である奴隷の家、北端にはフランスが完成させたエストレ要塞が残る。欧州諸国の支配下では12棟を超える奴隷収容所からなる倉庫が置かれたとされ、現在の島はアフリカ系ディアスポラの巡礼地であるとともに、西洋とアフリカの接点、和解と赦しを通じた対話の場となっている。
歴史
15世紀以降、ゴレ島はポルトガル、オランダ、イギリス、フランスに次々と支配され、15~19世紀にはアフリカ沿岸最大の奴隷交易拠点とされた。教材では、奴隷貿易が廃止された1815年まで、多くのアフリカ人がここから奴隷としてアメリカ大陸へ送り込まれたと説明されている。
奴隷の家では2階に奴隷商人が暮らし、1階に船の出港を待つ人びとが収容された。2.6m四方の部屋へ20人が鎖でつながれて詰め込まれたとも伝わる。島北端のエストレ要塞は現在、歴史博物館として残る。1978年、ゴレ島は世界で最初に世界遺産リストへ記載された12件の一つとなった。奴隷貿易の過ちを繰り返さないための負の遺産の代表例だが、「負の遺産」は世界遺産条約で定義された正式区分ではない。
