概要
イスラエルのユダヤ砂漠、死海西岸にそびえる岩山を利用した天然の要塞。紀元前1世紀にヘロデ王が築いた冬の離宮兼要塞と、1世紀にユダヤ人がローマ軍へ最後まで抵抗した包囲戦の痕跡が残り、ユダヤ人の結束のシンボルとなっている。
見どころ
断崖に連なる北の宮殿
ヘロデ王の宮殿は、死海を望む北端の断崖に三段のテラスを重ねて築かれた。列柱や壁面の跡から、天然要塞の防御性と王の離宮としての壮麗さを同時に読み取れる。
ローマ軍の包囲線と攻撃斜路
山麓には軍営と包囲壁、斜面には要塞へ迫る巨大な攻撃斜路が残る。籠城側の要塞と攻撃側の施設を一つの景観で見比べられる、古代包囲戦の貴重な現場である。
地理
マサダは死海西岸のユダヤ砂漠にあり、周囲から切り立った平頂の岩山が天然の防壁をなす。「マサダ」という名はヘブライ語で「要塞」を意味し、死海を眼下に収める険しい地形から難攻不落と考えられた。
山頂には宮殿、居住区、倉庫などからなる要塞都市の跡が広がり、断崖北端にはヘロデ王の北の宮殿が段状に残る。山麓にはローマ軍の軍営、包囲壁、攻撃用の斜路が一体として残り、古代ローマの包囲戦施設として現存状態がきわめて良い。
歴史
紀元前1世紀、ユダヤ王国のヘロデ大王(在位紀元前37~前4年)は、初期ローマ帝国の古典様式を取り入れた冬の離宮と要塞をマサダに築いた。
1世紀、ローマ軍に首都エルサレムを奪われた約1,000人のユダヤ人がマサダに籠城し、2年以上抵抗した。ローマ軍は周囲を軍営と包囲壁で封鎖し、巨大な攻撃斜路を築いて73年に要塞を陥落させた。籠城者が集団自決したと伝えられる悲劇は、古代イスラエル王国の滅亡と最後の抵抗の記憶を結び、マサダをユダヤ人の結束のシンボルにした。
古代イスラエルの文化と抵抗の記憶を伝える独特な証拠として登録基準(iii)、ヘロデ朝宮殿とローマ包囲戦技術が人類史の重要な段階を示す顕著な見本として(iv)、ユダヤ人の思想と歴史的記憶に直接結びつく場所として(vi)が認められ、2001年に世界遺産に登録された。
