セーヌの流れに古代から近代まで2,000年の都市史が並ぶフランスの首都

パリのセーヌ河岸

Paris, Banks of the Seine

シテ島のゴシック聖堂から鉄のエッフェル塔まで、川を進むだけで建築史を旅できます。

パリのセーヌ河岸のミニチュア

概要

パリ中心部のセーヌ河岸には、シテ島から発展した約2,000年の都市史が凝縮されています。ノートル・ダム大聖堂とサント・シャペル、ルーヴル、アンヴァリッド、コンコルド広場、エッフェル塔などが連なり、ゴシックの王都からオスマンの近代都市改造、万国博覧会の時代までを一つの景観としてたどれます。

  • フランス
  • 文化遺産
  • 1991年登録
  • 検定3級
  • 検定2級

見どころ

セーヌ川の河岸から見る二つの角塔と飛梁を備えたノートル・ダム大聖堂

シテ島に立つノートル・ダム大聖堂

二つの角塔、リブ・ヴォールト、バラ窓、飛梁が初期ゴシックの革新を伝えます。セーヌから眺めると、ローマ都市以来の中心であるシテ島と大聖堂の結び付きを実感できます。

青と赤の高いステンドグラスが壁一面を覆うパリのサント・シャペル上堂

1,134場面が光るサント・シャペル

ルイ9世が建てた上堂では、壁面が消えるほど高いステンドグラスにキリスト受難など1,134の物語場面が広がります。ゴシック建築が光で空間を形づくる到達点です。

地理

遺産はパリを東西に流れるセーヌ川の河岸と島々を軸に、ルーヴルからエッフェル塔、コンコルド広場、グラン・パレ、プティ・パレなどへ広がります。都市の発祥地シテ島と左岸にはローマ時代の都市が築かれ、河川交通の要衝として発展しました。11世紀頃には左岸でパリ大学の基礎が形成され、神学研究の拠点となりました。右岸は王都の繁栄とともに商業中心地へ成長しました。

中世のゴシック建築、王宮や宗教施設、近代の大通りと広場、万国博覧会の建築が川に沿って重なります。19世紀後半、セーヌ県知事ジョルジュ・オスマンは、コンコルド広場からシャンゼリゼ通り、凱旋門のあるエトワール広場へ延びる壮大な軸線を整え、広場から放射状に12本の道路を通しました。この広場と大通りの計画は、19~20世紀の世界各地の都市計画に影響を与えました。

パリのセーヌ河岸の風景

歴史

パリの歴史は紀元前3世紀頃、ケルト系パリシイ人がシテ島に築いた集落から始まります。紀元前52年頃にカエサル率いるローマ軍が征服し、都市はルテティア・パリシオルムと呼ばれました。4世紀頃にパリへ改称され、6世紀初頭にはクローヴィスが興したメロヴィング朝フランク王国、10世紀末にはカペー朝フランス王国の首都となりました。メロヴィング朝は481~751年に続いたフランク最初の王朝です。

1163年に着工し1345年に完成したノートル・ダム大聖堂は、リブ・ヴォールトやステンドグラスなど初期ゴシックの特徴を伝えます。2019年の火災では屋根を焼失しました。国王ルイ9世の命で1248年に完成したサント・シャペルは、キリスト受難など1,134場面を描くステンドグラスで知られます。こうした建設とともに王都としての繁栄が本格化しました。

1674年完成のアンヴァリッド(廃兵院)は戦傷者や老兵の施設として建てられ、19世紀後半にナポレオン1世の墓所となり、現在は軍事博物館です。ルイ14世は17世紀に本拠をヴェルサイユへ移しましたが、1789年7月14日のバスティーユ牢獄襲撃を契機とするフランス革命でパリは再び政治の中心となりました。王政廃止、ルイ16世とマリー・アントワネットの処刑、第一共和政、ナポレオンの第一帝政、七月革命、二月革命、パリ・コミューンを経ても、政治・文化の中心であり続けました。

19世紀後半の第二帝政下にはオスマンの都市改造が行われました。1889年のパリ万国博覧会ではエッフェル塔が主会場の記念建造物として完成し、20世紀にはグラン・パレやシャイヨー宮なども景観に加わりました。13世紀頃の要塞を起源とするルーヴルは王宮を経て、モナ・リザやミロのヴィーナスを含む30万点以上を所蔵する美術館となりました。駅舎として造られたオルセーも1986年に美術館へ転用されています。1991年、建築と都市計画の展開が評価され登録基準(i)(ii)(iv)で登録されました。

参考

  • UNESCOParis, Banks of the Seine
  • 書籍『くわしく学ぶ世界遺産300〈第5版〉』(発行:世界遺産アカデミー/世界遺産検定事務局、発売:マイナビ出版)
  • 書籍『きほんを学ぶ世界遺産100〈第4版〉』(発行:世界遺産アカデミー/世界遺産検定事務局、発売:マイナビ出版)

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