概要
ヨルダン南部の岩山に、北アラビア系のナバテア(ナバタイ)人が築いた隊商都市です。王家の墳墓と考えられるアル・カズネをはじめ、岩を削り出した建築、ヘレニズムとローマの影響、ダム・水路・貯水設備が、国際交易で栄えた都市の高い技術と文化の融合を伝えます。
見どころ
岩壁から現れるアル・カズネ
シークを抜けた先で、柱、破風、円形堂を備えた壮大な正面が一枚の砂岩壁から現れます。「宝物庫」を意味する名で知られますが、王家の墳墓と考えられるペトラの象徴です。
乾燥地を生かした古代水利
峡谷沿いの岩盤水路、洪水をそらす石造ダム、雨水を蓄える貯水槽が都市へ水を供給しました。限られた水を制御し、大人口と隊商を支えたナバテア人の技術力を示します。
地理
ヨルダン南部、死海と紅海の間に連なる砂岩の山地と渓谷に位置します。都市への代表的な入口は、両側に高い岩壁が迫る細い峡谷シークです。赤、桃、橙の縞をもつ砂岩の崖そのものが、墓や神殿、住居を刻む建築面となりました。
降水の少ない環境で都市生活と隊商を支えるため、ナバテア人は峡谷の洪水を抑えるダム、岩盤を刻んだ水路、貯水槽を組み合わせました。自然の要害と水利技術を生かした立地が、ペトラを広域交易の中継地へ成長させました。
歴史
北アラビアを起源とするナバテア人は、もとは羊の放牧や馬を使った交易を行う遊牧民でした。紀元前4世紀ごろからペトラに定住し、アラビアの香料、中国の絹、インドの香辛料などを運ぶ隊商交易の中継地として都市を発展させました。岩窟建築には在来の伝統に加え、ヘレニズムやローマの建築表現が取り込まれています。
代表的なアル・カズネは「宝物庫」を意味する名で呼ばれますが、実際には王家の墳墓と考えられています。106年にナバテア王国がローマ帝国へ併合された後も都市は存続したものの、交易路の変化などにより次第に衰退しました。19世紀に西欧へ広く知られるようになりましたが、遺跡の大部分は現在も未発掘とされます。1985年に世界遺産へ登録されました。
