概要
エチオピア正教会の11の聖堂を、赤褐色の岩盤から丸ごと彫り出した12~13世紀の宗教建築群。ザグウェ朝のラリベラ王が、巡礼の困難になったエルサレムに代わる聖地を築こうとしたと伝わり、現在も礼拝と巡礼が続いている。
見どころ
岩盤に刻まれた十字、ギョルギス聖堂
地表から岩盤を十字形に掘り下げ、建物そのものを一枚岩から彫り出した独立式聖堂。11聖堂の中でも造形が明快で、ラリベラを象徴する景観である。
ヨルダン川の両岸に広がる「第2のエルサレム」
「ヨルダン川」を挟む北岸・南岸の聖堂群は、エルサレムとベツレヘムを象徴する宗教空間。溝や通路を歩く巡礼の動線も見どころとなる。
地理
エチオピア中央部、アムハラ州の標高約2,600mの山地に、11の岩窟聖堂がまとまる。聖堂群は「ヨルダン川」と名づけられた水路を挟み、北岸に5聖堂、南岸に5聖堂が配され、そこから約300m離れた場所に11番目のギョルギス聖堂が立つ。岩盤を上から掘り下げて建物を彫り残し、さらに扉、窓、柱、床、屋根を刻み出した一枚岩の建築で、各聖堂は溝、地下通路、儀礼の道で結ばれている。
北岸と南岸の配置は、エルサレムとベツレヘムの聖地を象徴的に再現したものとされる。周辺には地元の赤い石で造る二階建ての円形住居も残り、聖堂と伝統的集落が一体となった中世エチオピアの景観を伝える。
歴史
12~13世紀、エチオピア中央部ではザグウェ朝が栄え、ロハを都とした。12世紀末に聖地エルサレムがイスラム勢力の支配下にあり巡礼が困難だった時代、ザグウェ朝第7代のラリベラ王は都を「第2のエルサレム」とするため造営を始め、わずか20数年で11の聖堂が完成したと伝えられる。ロハはのちに王名をとってラリベラと呼ばれるようになった。
聖堂には、紀元前後にエチオピア北部で興り、最盛期には紅海対岸のイエメンまで版図を広げたアクスム王国の建築様式が受け継がれている。古代ギリシャ、ローマ、ビザンツの影響も見られ、エチオピアに流入した複数の建築文化を独創的な岩窟建築へ結実させた。聖堂群は現在もエチオピア正教会の礼拝と巡礼に用いられる生きた聖地であり、1978年に最初に世界遺産リストへ記載された12件の一つとなった。
