概要
紀伊山地の吉野・大峯、熊野三山、高野山の3霊場と、それらを結ぶ参詣道からなる文化的景観。自然崇拝に根ざす神道と大陸伝来の仏教が融合した神仏習合、修験道、熊野詣、真言密教の伝統を、社寺・滝・森林・巡礼路が一体となって伝える。
見どころ
那智大滝を仰ぐ熊野那智大社
熊野那智大社は高さ133mの那智大滝への自然信仰を起源とする。朱塗りの社殿、青岸渡寺、滝、原始林が一体となり、自然崇拝と神仏習合を象徴する景観をつくる。
森を縫って霊場を結ぶ熊野古道
熊野古道の石畳は、身分を問わない熊野詣の人々が歩いた祈りの道。中辺路をはじめ、紀伊山地の森を縫う参詣道が3霊場を結び、今も信仰と巡礼の文化を伝える。
地理
和歌山・奈良・三重の3県にまたがる紀伊山地の深い森林に、吉野・大峯、熊野三山、高野山の3霊場と、それらを結ぶ参詣道が広がる。森林、小川、滝と社寺が一体となった23資産の文化的景観で、登録地は合計506.4ha。自然に成立基盤をもつ山岳信仰の霊場と修行道が、1,200年以上にわたり生きた文化として受け継がれている。神道、仏教、修験道が山岳信仰と融合した景観に、日本の世界遺産として初めて文化的景観の価値が認められた。
吉野・大峯には、千本桜で知られる吉野山、水神を祀り豊臣秀頼が現在の社殿を再建した吉野水分神社、金山毘古神を祀る金峯神社、7世紀に役行者が開いたと伝わる修験道の根本道場・金峯山寺、源義経と後醍醐天皇ゆかりで神仏分離により神社となった吉水神社、標高1,719mの山上ヶ岳山頂に立つ大峯山寺が含まれる。大峯奥駈道は吉野山から大峯山寺・玉置神社を経て熊野本宮大社へ至る修行道で、全体を約120kmとする説明と、主要区間を約87kmとする説明がある。修行場の靡は約120か所から17世紀以降75か所へ整理され、そのうち57か所が登録されている。
熊野三山は熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社を中心とし、青岸渡寺、那智大滝、那智原始林、補陀洛山寺を含む。高さ133mの那智大滝は神が宿る滝として信仰され、東側には約33万m2の那智原始林が広がる。熊野参詣道は紀路・伊勢路・小辺路の3系統があり、紀路は山中を通る中辺路と海岸沿いの大辺路に分かれる。身分を問わない熊野詣で、とくに京都や西日本から熊野三山へ向かう中辺路が広く利用された。
高野山は空海が816年に開いた真言密教の霊場で、金剛峯寺、地主神を祀る丹生都比売神社、空海の母ゆかりで女性の参拝が許された慈尊院、丹生官省符神社が神仏習合の歴史を示す。町石道には慈尊院から壇上伽藍まで一町ごとに卒塔婆形の町石が立ち、女人道は女人禁制時代に山内へ入れない女性が高野山を巡った道である。高野山奥院に諸大名が造営した石塔婆群は、日本独特の石造廟の変遷を示す。
歴史
紀伊山地は古くから神々が宿る地と考えられ、仏教伝来後は山々が浄土に見立てられて、特殊な力を得る山岳修行の場となった。吉野・大峯では7世紀に役行者が金峯山寺を開いたと伝わり、修験道の聖地が形成された。熊野那智大社は那智大滝への自然信仰を起源とし、青岸渡寺は5世紀にインドから漂着した僧が開いたと伝わる。補陀洛山寺は小舟で観音浄土を目指す補陀洛渡海ゆかりの寺である。熊野本宮大社は古代にさかのぼる熊野坐神社を起源とし、熊野速玉大社では原始信仰を伝える熊野お灯祭り、熊野那智大社では那智の火祭が受け継がれている。
9世紀初頭、真言密教を伝えた空海は816年に高野山を開き、金剛峯寺と多数の子院が並ぶ宗教都市へ発展させた。平安時代以降、身分を問わない熊野詣が盛んになり、3霊場と古都奈良・京都などを結ぶ参詣道が整えられた。聖なる建造物と豊かな自然が共存する景観は、豊富な記録とともに1,000年以上守られてきた。
2004年、3霊場と参詣道が登録基準(ii)(iii)(iv)(vi)で世界遺産に登録された。2016年の範囲変更では、黒河道、京大坂道不動坂、三谷坂、女人道などの参詣道と、熊野三山の別宮的存在である闘雞神社が追加された。現在も儀礼、巡礼、山岳修行、参拝、徒歩旅行の場として利用される、生きた文化的景観である。
