概要
栃木県日光市の東照宮、二荒山神社、輪王寺に属する103棟と周囲の自然環境からなる文化遺産。山岳信仰、神仏習合、徳川将軍家の霊廟建築が重なり、建造物と神格化された自然が調和する宗教景観を示す。
見どころ
東照宮・陽明門
500体を超す彫刻と金箔で装飾された江戸建築の傑作。杉木立と傾斜地の中で、寛永の大造替の技術が凝縮する。
輪王寺大猷院
徳川家光を祀る黒と金の霊廟。家康の東照宮をしのがないという遺志を映す、静謐で格調高い権現造の空間。
地理
登録地域は50.8ha、緩衝地帯は373.2ha。東照宮42棟、二荒山神社23棟、輪王寺38棟の計103棟と、社寺を包む杉の森や山々からなる。103棟のうち9棟が国宝、94棟が重要文化財で、神格化された自然を背景に、傾斜地へ社殿を配する日本の代表的な景観構成を示す。建造物と自然の調和は、日本の伝統的宗教中心地の優れた例であり、神道における人と自然の関係を伝える。
二荒山神社は日光の山岳信仰の中心で、祭神は大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の三神。それぞれ男体山・女峰山・太郎山の山神とされる。社伝では850年に社殿を現在の東照宮鐘楼付近へ移して「新宮」と呼んだ。現在の本社社殿は寛永の大造替以前から残る八棟造で、入母屋屋根、破風、向拝が複雑に組み合わさる。この形式が東照宮の権現造へ受け継がれた。神域入口の神橋は1636年に現在の形式が整えられ、1902年の洪水後に再建された。
東照宮本社は本殿・石の間・拝殿を連結する権現造。陽明門は高さ11.1m、幅7mで、500体を超す彫刻と約24万枚の金箔に飾られる。完成を避けて魔除けとするため、柱1本を逆さにしたと伝わる。神厩舎の三猿は人の一生を表す8面の彫刻の一部で、幼少期の教えを「見ざる・言わざる・聞かざる」で示す。五重塔は心柱を四層目から鎖でつり下げる構造で、風害や地震へ対応する。保存・修復は「日光御宮并御脇堂社結構書」を基準とする。
輪王寺三仏堂は山内最大の建物で、千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音を祀る。本地垂迹説のもと、この三仏は男体山・女峰山・太郎山の本地仏として二荒山大神と同一視された。明治の神仏分離令で三仏堂は現在地へ移され、山内は2社1寺に分けられた。東照宮では家康を「東方薬師瑠璃光如来」として祀る。二荒山神社の本社社殿・唐門・拝殿など23棟は重要文化財。輪王寺は国宝の大猷院と重要文化財37棟の計38棟が登録される。
歴史
勝道上人は766年に四本龍寺を創建し、782年に男体山へ登頂、784年に中禅寺を建立して日光の山岳信仰を開いた。室町時代には数百の僧坊が並ぶ霊場として栄えたが、戦国時代に豊臣秀吉と対立して衰退した。
江戸時代、徳川家康の側近だった僧天海は家康の神霊を祀る東照社を建て、荒廃した社寺も再興した。家康の遺言に従って1617年に東照社が造営され、徳川幕府の聖地として再び信仰を集める。徳川家光は1634〜1636年、1年5か月に及ぶ寛永の大造替を行い、陽明門や三猿で知られる神厩舎など、当時最高の技術による社殿群を整えた。1645年に東照社は東照宮へ改称された。
輪王寺は四本龍寺を起源に、天海が60棟余りを復興した。1643年に没した天海は大猷院内の慈眼堂に祀られる。1653年には家光の霊廟大猷院が造営され、家康の東照宮をしのがないよう、家光の遺言に従って黒と金を基調とする落ち着いた造りとなった。東照宮と大猷院の権現造は江戸時代の建築表現の頂点とされる。
明治政府の神仏分離令によって山内の建造物は東照宮・二荒山神社・輪王寺の2社1寺へ整理された。1999年、建造物群と周辺景観が登録基準(i)(iv)(vi)で世界遺産に登録された。
