概要
中国山西省の約1kmに及ぶ断崖に、252の石窟と約5万1000体の仏像を刻んだ北魏時代の石窟寺院。曇曜五窟の大仏は皇帝と釈迦を重ねる政治的・宗教的理念を示し、第20窟などにはガンダーラ美術の影響が見られる。敦煌の莫高窟、龍門石窟と並ぶ中国三大石窟の一つ。
見どころ
第20窟の露天大仏
雲岡石窟を象徴する大仏。端正で力強い顔立ち、厚みある衣のひだにガンダーラ美術の影響が見え、インド・中央アジアの造形が中国へ伝わった価値観の交流を実感できる。
皇帝を仏に重ねた曇曜五窟
文成帝の命を受けた曇曜が造営した5つの大石窟。歴代5皇帝を模した大仏によって皇帝と釈迦を同一視し、北魏が仏教を国家統合と権威の表現に用いた歴史を伝える。
地理
中国北部、山西省大同市近郊に位置する。砂岩の断崖約1kmにわたって大小の石窟が並び、252の石窟と約5万1000体の仏像が残る。巨大な坐仏から掌に載るほどの小像まで、洞窟の内外を仏教彫刻と装飾が埋め尽くす。
雲岡石窟は中国初期仏教芸術の傑作で、敦煌の莫高窟、龍門石窟とともに中国三大石窟に数えられる。インドから中央アジアを経て伝わったガンダーラ系の造形と中国固有の表現が交わり、仏教美術が中国化していく過程を目にできる。
歴史
北魏は386〜534年に鮮卑の拓跋氏が建てた王朝で、439年に華北を統一し、華南の宋と覇権を争った。452年に即位した文成帝は仏教を国家統合と皇帝権威の支えに用い、僧曇曜に5つの大石窟を造らせた。曇曜五窟の大仏は文成帝を含む5人の皇帝を模し、皇帝と釈迦を同一視させる理念を表した。
第20窟の露天大仏には、彫りの深い顔立ちや衣文などにガンダーラの影響が見られる。494年に北魏が都を洛陽へ移すと造営の中心も移り、雲岡石窟は次第に忘れられた。1902年、日本人建築家伊東忠太が調査・紹介したことで再び脚光を浴びた。伊東は1867〜1954年に生きた東京帝国大学出身の建築家で、明治神宮や湯島聖堂などを設計し、「建築」という語を生んだ人物としても知られる。
2001年、登録基準(i)(ii)(iii)(iv)で世界遺産に登録された。(i)は人類の創造的資質を示す傑作、(ii)は芸術・建築における重要な価値観の交流、(iii)は文化的伝統や文明を伝える独特な証拠、(iv)は人類史の代表的段階を示す建築・技術の総合体を評価する。彫刻の完成度、東西文化の融合、北魏仏教の証拠、石窟寺院の大規模な構成がそれぞれの価値を支える。
