国を滅ぼし殺生石と化した金毛九尾の大妖

九尾の狐

玉藻前 / 玉藻の前 / 白面金毛九尾の狐 / 殺生石

「その微笑みひとつで、上皇は床に伏した。」安倍泰成の祈りが正体を暴いた夜、白面金毛の獣は那須野を駆けた。討たれてなお石に宿り、毒気は千年経った今も消えていない。

九尾の狐 figure art

Danger and Rarity

S
戦闘力

国や町ごと滅ぼしかねない、桁外れの力。

S
敵対性

人も土地も選ばず害をなす、災厄そのもの。

S
稀少性

ただ一体、一度きりの怪異として語られる。

Overview

金毛で尾が九つある狐。美女(玉藻前)に化け各国で王を惑わした。最後は退治され殺生石となった。

Encounter

遭遇するのは、権勢ある者のかたわらである。九尾の狐は絶世の美女として近づき、寵愛を得てその力を静かに蝕む。平安期には鳥羽上皇に仕える玉藻前として宮中に現れたと伝わる。正体を暴かれ討たれた後も執心は消えず、栃木県那須町の殺生石にとどまり、今なお硫黄の匂う岩間に近づく人や獣を毒気で害するという。

Lore

九尾の狐は、中国の地理書『山海経』に記された、尾が九本ある瑞獣を起源とする。本来は皇帝の治世に現れる吉兆の獣とされていたが、後世の説話では殷の妲己、周の褒姒、天竺の華陽夫人という悪女に化けて国を傾けたとする物語が形成された。

日本では、平安時代後期の鳥羽上皇の女房「玉藻前」がこの妖狐の化身であったとする伝説が伝わる。玉藻前の伝承が文献に現れるのは南北朝期の史書『神明鏡』が早く、続く室町時代の御伽草子『玉藻の草子』では、狐ではあるが「尾二つ」とされ、まだ九尾とは記されていない。江戸時代の『勧化白狐通』(明和3年・1766年刊)で妲己の物語と結び付けられ、『絵本三国妖婦伝』(文化2年・1805年刊、高井蘭山作)などにより、天竺・唐(中国)・日本の三国を渡り歩く「九尾の狐」の物語として整えられた。

伝説によれば、陰陽師・安倍泰成が玉藻前の正体を見破ると、狐は那須野が原(現・栃木県那須町)へ逃れ、上総介・三浦介らの軍勢に討たれたとされる。その執心は巨石に変じて毒気を放ち、人畜を害する「殺生石」になったと伝わり、南北朝時代の至徳2年(1385年)に玄翁和尚がこの石を打ち砕いたという伝説も残る。能『殺生石』はこの一連の物語を題材としている。

実際の殺生石は栃木県那須町に現存し、噴気孔から硫化水素や亜硫酸ガスなどの有毒な火山ガスが噴出する場所であることが知られている。元禄2年(1689年)には松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅でこの地を訪れ、その毒気について記録している。なお、玉藻前のモデルは鳥羽上皇の寵妃・美福門院(藤原得子)であるとする見方もある。

Traits

幾千年もの時を経た狐が体得する妖力の極致とされるのが、この金色の毛並みと九本の尾を持つ大妖である。もとは天竺で華陽夫人という美女に、次いで中国殷の時代には妲己という寵妃に、周の時代には褒姒という美女に姿を変え、それぞれの国の王を惑わして国を傾けてきたとされる。

日本に渡ってからは玉藻前という名で鳥羽上皇の女房となり、その美貌と博識で寵愛を一身に集めた。人に化ける際は絶世の美女の姿をとり、言葉巧みに近づく者の心を掴んで離さない。取り憑いた相手には原因不明の病をもたらすとされ、玉藻前として仕えていた時も、鳥羽上皇を長く病に伏させたと伝えられる。

正体を見破られると、金色の毛に覆われた狐の姿を現し、恐るべき速さで逃走する。追い詰められて命を落としても、その執念と怨念は消えず、巨大な石に宿って毒気を放ち続け、近づく人や獣、鳥や虫の命を奪う。この毒石は「殺生石」と呼ばれ、今なお硫黄の匂いを漂わせながら周囲を睥睨している。

たとえ法力によって砕かれようとも、その破片は各地へ飛び散り、それぞれの土地に新たな因縁を残していくという。長い歳月をかけて再び力を蓄え、いつの日か石を割って蘇るのではないかと、今も恐れられている。

九尾の狐 cover image