墓石を磨きあげる見えざる手
石塔磨き
石塔を千基磨けば病が癒えると、誰かが囁いた。だから今宵も、名も知らぬ手が墓石を撫でていく——何基目に願いが届くのかも、知らぬまま。
Overview
夜のうちに墓地の古い石塔(墓石)を磨きあげ、色あせた戒名や年号を朱墨・黒墨で書き改めていく正体不明の存在。江戸の麻布・赤坂・芝・浅草の寺々で騒がれ、東北・東海・四国にも同じうわさが広がった。厳しく詮議されても、ついに誰も正体を掴めなかったという。
Encounter
騒ぎが起こるのは夜の更けた寺の墓地である。翌朝、住職や参詣人が訪れると、昨日まで苔むしていたはずの石塔が一基また一基と磨きあげられている。夜通し番をしても人影は現れず、闇の奥から石を擦る低い音だけが聞こえてくるという。
Lore
『藤岡屋日記』は文政十年九月、麻布谷町の栄昌寺で何者かが墓地に忍び込み一基の石塔を磨きあげ、ほか七、八基にも同じ跡があったと記す。磨かれた石塔はやがて二百八十基に及び、色あせた碑文は朱と墨で書き直されていた。寺が厳しく詮議しても、石を磨く音を聞いたという話のほか正体は掴めなかったという。
Traits
人の寝静まった刻を選んで墓地に現れ、苔と汚れにまみれた古い石塔を丹念に磨きあげる。読めなくなった戒名や年号を朱と墨でなぞり直すが、荒らしたり倒したりはせず、ただ黙々と石を清めるのみ。人を害する素振りもなく、うわさが静まるとともに現れなくなった。