瀬戸内海に浮かぶ二つ並びの怪火
たくろう火
比べ火(くらべび)
凪いだ夜の瀬戸内、波間にぽつりと浮かぶ二つの明かり。人の顔のようにも見えるそれは、声も熱も持たず、ただ寄り添うようにゆらゆらと揺れている。近づいても遠ざかっても、何を語るでもない。行き会った船乗りたちはただ黙って舳先を返し、火影が見えなくなるまで、闇の中を急いだという。
概要
たくろう火は、夜の海上に二つ並んで浮かぶとされる、正体のはっきりしない怪火。寄り添うように現れる二つの光から「比べ火」の別名でも呼ばれる。古い書物にわずかに記録が残るのみで、地元でもその名を知る者は少ない、忘れられかけた妖怪である。
出現
瀬戸内海、広島県東部の海岸で、夏から秋にかけての夜に現れるという。島伝いに小舟で渡っていた船乗りたちの前に、人の顔のような不気味な火の玉が二つ、並んで海上をふわふわと漂う。かつては航路を行き交う者によく知られていたが、目撃は久しく途絶えている。
伝承
江戸期の地誌『芸藩通志』に記載が見えるとされ、広島中部の伝承では非業の死を遂げた二人の女が「京女郎」「筑紫女郎」と呼ばれる二つの石と化し、その霊がたくろう火になったという。ただし伝承は古い書物にわずかに残るのみで、地元の古老にもほとんど知られておらず、詳細な出典は乏しい。
特徴
二つの火が連れ立って、あるいは連なって海上に浮かぶことから「比べ火」とも呼ばれる。人を襲う、脅かすといった直接の害は伝えられておらず、この火が原因で火事になった例も少ないとされる。ただ静かに海面を漂い、船乗りに姿を見せるだけの、由来のはっきりしない怪火である。